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小林ゆい (こばやしゆい) [26歳] |
今日とある打ち合わせで、色々ネフローゼだった時のお話を振り返りました。 せっかくなのでパパに電話して、当時のことを初めて聞きました。 私のために仕事も変えてくれて、色々大変だったんだなと。 ちょっと泣きそうになってました。笑 せっかくなのでここでも、ネフローゼ時代のお話を少ししようかなと!この写真はステロイドでムーンフェイスになってる私。めちゃくちゃ顔が丸くなるんです。笑 7歳で一年くらい入院しました。 ステロイド療法がメインだったと思います。 食事制限もしてました。 食事制限が嫌で煮物の汁まで飲んでたのを覚えてます。その頃のこともあって、今でもご飯は大盛りが大好き。お腹いっぱい食べたいです。 嬉しかったのは、看護師さんがとにかく優しかった。看護師さんのいつも後ろについて回って、コバンザメだねって言われてました。笑 あと病院内に同じ病気の子がたくさん居て、心強かったです。 友達からもらったお揃いのうさぎは今でも大事にとってあります。 あとビーズとか塗り絵とか折り紙が大好きになって、今でもメディカルサロンで来客していただいたお客様には折り紙の裏にメッセージをいただき、千羽鶴をコツコツ折ってます。入院したことで、得たこともたくさんあるので、そこは嬉しいですね! あと、親の離婚で5月にすぐ転校になり、健康診断を転校先でも受けたことがきっかけで病気がみつかりました。 友達と廊下を歩いていたら、学校の先生が血相を変えて走ってきて、『すぐ入院だよあなた』と言われて、そのまま病院に連れて行かれたのを覚えています。 最初の病院は市民病院で、隔離されてトイレもおまるで、ママはアルコール依存で面会にくると、トイレで『内緒だよ』って言ってビール飲んでました。 そんな状況をみかねて、その後はパパに引き取られて、小児病院に転院しました。 そこが本当に天国でした。楽しかったです! しんどかったのは、ステロイド始まってから感染症を起こしやすくなって、高熱が出た時です。あと同時期に母親がアルコール依存で入院になり、会えなくなったことや、妹とも離れ離れになり1年間は一切会えてなかったので、寂しかったです。 でもそれ以上に本当に看護師さんが優しくて優しくて、その時に大人になったら絶対看護師になろうって思ってました。 ここからはパパとの電話話。 久々で緊張した。笑笑 当時、何かのタイミングでママの食事を一緒に食べたらしく、ですがしょっぱすぎて飲み込めないくらいの卵焼きを食べてびっくりしたみたいです。母親がアルコール依存で味覚障害を起こしていたことがしょっぱさの原因でした。その食事を食べ続けていたことで、腎臓が壊れてネフローゼの病気になったのではないかと話してました。 入院してからは、色々な薬試していたけどなかなか治らなかったみたいで、最後の薬を試すときには、医者にこれが効かなかったら腎臓移植と言われていたみたいです。 これは知らなかった、、、 パパは腎臓移植になった時に一緒に耐えられるように、会社を変えたそうです。 最後の薬を試してからしばらくたち、一時退院の許可が出た時に高熱がでました。 ですが、再度病院で検査したら、熱はあるもののタンパク質は全く尿にでてなかったので、薬の効果があり腎臓が正常に戻ったということで退院できたという感じだったそうです。 当時を振り返ると食事制限が嫌で泣いてた私をなんとかパパがなんとか誤魔化していた。 医者に、薬を飲むとすごくお腹が減るのに、顔がパンパンに浮腫むと。 それ以外は本当にしんどいことは何もなかった。大変だった記憶はない。娘に申し訳ない気持ちだった。とのこと。 治療費は、いくらか払ったけどそんな大変ではなかった。 本当にワガママ言わなかったので、 たまにアピタ行っておもちゃを買ってあげてたそうです。 親の優しさに感動しましたね。 ありがとう改めて。 25歳まで元気に過ごせていることに感謝です。 アルコール依存の遺伝率がすごく高いので、私がお酒を飲むことを本当に心配していました。 気をつけるね✌️お酒は適度に!
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